飛鳥 お福 ブログ

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世界的に大人気なアイドルグループが、フォーメーションの移動に関してわちゃわちゃと言い合っている動画を見ました。
『自分の移動が間に合わないから、もう少し移動のスタートを早くしてほしい。』と、他のメンバーにお願いするのですが、
『いやいや自分も急いでる。あれが限界だよ。』
という様な内容だと思います
これはホントに群舞あるあるだと思って、微笑ましく観ていました。

例えば、カウント2小節でフォーメーションを変える場合、今いる位置から次の位置が近い人は問題ないのですが、舞台の上手(かみて→舞台に向かって右)端から下手(しもて→舞台に向かって左)端などの大移動となると大変です。
大きなホールですと、かなりの距離を猛スピードで移動しないと間に合いません。
その場合、移動の最中もフォーメーションがあるのか、それとも、それぞれがバラバラに散って移動するのかで、注意する点が大きく違ってきます。
全員が流れるように移動する場合、前の人が進まないと自分も動けませんので、列の後ろへ行けば行くほど移動のスタートが遅くなり、ハラハラ度が増します。
この時に1番大切な事は、ワタシ今移動してます!という、焦りや忙しい雰囲気を出さずに、あくまでも舞台の上の美しい余裕のある姿で移動をしなければなりません。

私が18歳で舞踊団に入団した当初、今は亡き大先輩の飛鳥峯治さんに教えて頂いた事があります。それが
『舞台の上ではどんな時も 決して素の自分にならないこと』
ということです。
その時は小さな会場だったのですが、移動の時にお客様に背を向け後ろを向いた瞬間に焦って、顔が素のワタシに戻っていたのでしょう。
素のワタシにならないようにと、注意されました。どんな時も素の表情を出さずに、常に観られている舞台人としての表情で舞台の上に立つという大切さを教えて頂きました。
舞台の上では絶対に素の自分になってはいけないのです。
これは、公演中舞台上で何かアクシデントが起こった時も同様です。
微動だにせず、舞台上の事として表情を変えずに処理ができる様になる事が大切です。
お互いの信頼関係や長年の経験が必要になりますね。

次回は、群舞で踊る、ソロで踊る 《アクシデント編》
書きますね(*^^*)

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いつも踊っています♪
日本舞踊家の飛鳥お福です(*^^*)

先日、扉座さんの『ホテルカリフォルニア』というお芝居を観劇させて頂きました。
コロナ渦になって初めての生のお舞台!楽しい時間を過ごさせて頂きました。
忘れていた色々な事を思い出させて頂いたので、お芝居のお話を少し綴りたいと思います。

扉座主催の横内謙介先生は言わずと知れた劇作家、演出家の先生で、スーパー歌舞伎の脚本、演出等も数多くされており、家元の飛鳥左近先生からもお話は良くお聞きしておりました。
私もスーパー歌舞伎Ⅱワンピースを拝見させて頂いた時は、台詞の量、演出、転換のスピードなどなど…感動して感動して!そして自分の中では過去最高量の紙吹雪を体感し、興奮しながら劇場を後にした事を良く覚えています。
余談ですが、その時に、市川右團次さんの番頭さんに、「通路側のお席なので、ぜひタンバリンを買った方が良いですよ」と教えて頂き、黄色いタンバリンをシャカシャカ振りながら北川悠仁さんの歌でフィーバーしました♪
右團次さんから、タンバリンに貼ってねと、右團次さんと右近さんの千社札を頂きましたが、未だに貼れず和箪笥の奥に、大事にしまってあります。
その後、ゆずのライブに行かせて頂く時、私は毎回ワンピースのタンバリンを持参しております(*^^*)
…そんな思い出を胸に今回、初めての扉座さんのお芝居!ドキドキワクワクしながら新宿に向かいました♪

私が初めてお芝居に出演させて頂いたのは18歳の時です。
高校卒業2日後に、千葉から大阪へ行き、飛鳥流に入門。同時に内弟子としての生活が始まりました。
日本舞踊は7歳からお稽古して参りましたので、入門3週間後には国立文楽劇場でのお舞台に立たせて頂きました。
そこからすぐ次のお舞台が、お芝居でした。

踊りしか踊ったことのない私がお芝居をするのです。それも大阪弁で!!
「踊りを勉強しに来たのに、何故お芝居をしないとならないのですか?」と、宗家 飛鳥峯王先生始め、2代目家元 珠王先生、3代目家元 左近先生を前に疑問を口に出す私。
『芝居心が無いと踊りも踊れない』という事がまだまだ全然解っていなかったので、人前で大きな声で台詞を言うなんて…ただただ恥ずかしいという一心でした。

元々、御宗家と珠王先生は大阪の青猫座という新劇団出身で、お芝居の作品も数多く発表されています。
内弟子と同時に、御宗家の作られた民族舞踊団『日本舞踊アカデミーASUKA』に入団しましたが、舞踊団の自主公演もお芝居と日本舞踊のお舞台という構成です。

さて、初めてのお芝居。
顔合わせ、本読み、立ち稽古…と何もかも初めての事だらけ。
台詞を言うのもただ舞台上を歩くのもぎこちない私。
そんなド素人の私に穏やかに教えて下さったのが、翻訳家、演出家で御高名な、故 青井陽治先生でした。
「○○ちゃん(←私の本名)、普段の生活でそういう歩き方はしないよね?」と、舞台上での方向転換の仕方や、身体の向きの変え方を1から教えて頂きました。
今、考えると、ホントにどうしようもないド素人相手に優しく教えて頂き感謝の思いで一杯です。
内弟子をしていましたので、常にお稽古場に私はおりましたので、お稽古中に急遽出番を増やして頂いたり、お稽古以外の時間も先生と色々とお話をさせて頂きました。
「○○ちゃん、映画はね…」と、映画の観方を教えて下さって、今でも映画を観る時は先生のお言葉を思い出しています。
当時上映されていた、青井先生が大絶賛されていた映画を、御宗家と珠王先生と難波の映画館に観に行かせて頂いたのも良い思い出です。
師匠と映画を観に行ったのは、この時が最初で最後だったと思います。

18歳の若い私!青井陽治先生演出の作品で初めてのお芝居を経験させて頂き、あの時のドキドキワクワクした気持ちやワイワイ楽しい雰囲気、活気溢れるエネルギーとお稽古場の匂い。懐かしくキラキラと輝いている金の思い出です。
県立高校が舞台の、ホテルカリフォルニアを拝観しながら…
数え切れないくらいたくさんのお舞台に立たせて頂いた、自分の青春時代を思い出させて頂きました。

終わりにもう一つ。
最後のご挨拶で、横内謙介先生がまだまだ続けて行きたいと仰っていて、私もこの先自分がどうしたいのか…今は次の目標を完全に見失っていますが、おばあちゃんになっても何らかの形で続けられたら良いなと、深く思わせて頂きました。
今回の公演を教えてくれたお友達に感謝しています。
そして!扉座の皆様の学生服姿♪とっても輝いていました!

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いつも踊ってます♪
日本舞踊家の飛鳥お福です。

今回は日本舞踊のあれこれ。
群舞のお話を少ししようかなと思います(*^^*)

『群舞』→ぐんぶ
読んで字のごとく、群で舞う→1人ではなく数人、数十人、数百人…で踊ることですね。
私は日本舞踊アカデミーASUKAという舞踊団に所属して、長年踊らせて頂いておりますので、この群舞をたくさん経験させて頂きました。
カウントを合わせて、大人数で踊る舞台はクラシックバレエでもヒップホップダンスでも…どのジャンルでも壮観のお舞台だと思います。
私も数多く経験させて頂きましたが、曲のテンポが早く、振り数の多い、ダイナミックな作品になりますと、迫力も増して圧巻のステージです。
全員の息の合った踊りは、踊っている私達も生命の躍動を感じ、お客様と一緒にその瞬間を共有する事ができ、大変感動致します。

群舞は基本的に振りを間違える事が許されません。
経験値の高い舞踊家さんの場合、ソロで踊る時に万が一振りを間違えてもお客様に伝わる事はまず無いと思います。
しかし、群舞の場合は1人が間違えると非常に目立ちますので、誤魔化す事は大変難しいと思います。
カウント、手や身体の角度、目線の位置、複雑なフォーメーションの動き、移動の時の姿やタイミングに至るまで、全員で何度も何度も合わせて行きます。

お稽古場よりも本番の舞台寸法が大きい時などは、フォーメーションの移動のタイミングや歩幅、スピードなどが変わってきますので、現場で細かく調整して行きます。
その他にも、隣の人との間隔や斜線の角度、奥行きの調整などを、照明の位置など確認しながら細かく調節していきます。

音楽を感じ、リズムを感じ、隣の人と息を合わせ、全員で呼吸を合わせて踊る。
緊張感と生命の躍動感。静と動のコントラスト。
群舞の事を考えただけで、身体に染み付いた一つ一つの技術的な物や色々な思い出が甦り、気分が高揚してきますね(*^^*)
日本舞踊で群舞を数多く経験させて頂く事は、非常に稀な事ですので、この様な経験は私の大切な大切な宝物です。

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いつも踊ってます♪
日本舞踊家の飛鳥お福です。

少しずつ気温が上がってきましたね。
日中は半袖でも大丈夫なくらいです。
実は、お着物は夏暑く冬寒いんです(*^^*)
今は5月ですので、袷(あわせ→裏地のあるお着物)の季節ですが、最近の気温が25℃越えての袷のお着物は汗だくですので、単衣(ひとえ→裏地の無いお着物)を着用する方が楽ですよね。
単衣でも、補正の為に中に下着を着たりタオルを巻いたりしますので気温が高いと暑いですね。

真冬は、首と、袖口がスースーするので腕が寒いです。
冬のお稽古は所作台(しょさだい→歌舞伎や日本舞踊などで足拍子が良く聞こえるように作られた台)も、ひやーっと冷たくて、身体が暖まるまで足元からしんしんと冷えてきます。
暖まるまでよくレッグウォーマーしてお稽古しました。

さてさて。
お家でもいつもお着物ですか?という質問ですが、これはホントに良く聞かれます。
まぁ…時代は令和です(*^^*)
私は別にお着物が特別好きなわけではないので、普段はお洋服です。動きやすいし楽ですから♪
現代の生活では、やはりお洋服が好きですよ。

でも…でもね… 
「はい♪」とお答えする事も実はあります。「普段はお洋服です。」とお答えすると、「えぇっ!」とビックリなさる方が意外と多くいらっしゃいますので。
イメージなのでしょうね。ふふふ。

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いつも踊っています♪
日本舞踊家の飛鳥お福です。

失敗。ふぅー。
失敗は嫌ですね。失敗の先に成長があるのはわかっていても、できればしたくないですよね。というのが人情ですよね(*^^*)
私個人的には、意外とお仕事やお舞台での失敗って少なかったと思います。
例えば忘れ物一つにしても、私達の場合は現地調達が難しいので、国内はもちろん海外へ行く時など殊更に入念に忘れ物の無い様に気を付けています。
私は、お舞台に関する失敗よりも、日常の失敗の方が記憶として良く残っています。

失敗して1番泣いたのは、お稽古場のハイエースを壁にぶつけちゃって、左サイドをガーッとへこませちゃった時です。
ドアが開かなくなっちゃって、ホントに大失敗です。情けなくて…泣いて泣いて泣きました。
結局、その後、新車のハイエースがお稽古場にやってきて。
2度と大阪で車の運転はしないと心に誓いました。

あとは、お昼ご飯の支度中。
キャベツを千切りしていて、包丁が滑ってキャベツに添えていた左手の人差し指をザックリえぐってしまって。
もうね。けっこう大きくえぐってしまったのでえぐれた所が皮1枚でくっついてる状態。まな板の上にかなり出血していたのは覚えています。
すぐに左近家元が来て下さって輪ゴムでギリギリ巻きに止血してもらって、お兄さんの運転で、近くの外科で縫ってもらいました。
それがね、冬になるとやっぱり今だに少し痛むんですよね。痛い失敗です。

そうそう船のお仕事も良く行かせて頂いていて。
世界一周する大型客船の中で踊らせて頂くのですが。船は1度乗ると次の寄港地まで降りられませんので、長い日数乗らせて頂く事が多いのです。
出発前日、お夕飯の支度をしてて、冷凍ホタテをレンジで解凍したんですね。
それをどういう訳か、忘れちゃってそのまま翌日からご宗家はじめみんなで船のお仕事へ。
船の中で無事に踊らせて頂いて、一週間後にお稽古場に帰ってきたのですが。
もうね…お台所がすごい臭いなんですよ。
忘れられた解凍ホタテが、レンジの中で一週間私の事を待ちわびていたんですから。
レンジ恐る恐る開けました。すごい状態でした。ここには描写しません。もうね笑うしか無いです。

その他ね、お皿割っちゃったり…、コーヒーメーカー落として割っちゃったり…、「着替えんといて。」って大阪弁を「着替えといて。」と聞き間違えて着替えちゃったり…、肉じゃが大阪では牛肉って知らなくて豚肉で作っちゃったり…。
もっとねたくさん色々と失敗してるんでしょうが、ざっと思い出してみました。ふふふ。

失敗して失敗してね。少しは成長してこれたかな?
と思う今日この頃です。
成長したいですね♪

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いつも踊っています♪
日本舞踊家の飛鳥お福です。

昨日は朝から雨の1日。
雨お嫌いでしたのに、また今年も雨ですね。
ザーザーと降り、風もビュービュー吹き。
夕方になりしとしとと静かになりました。

4月5日。内弟子の大先輩 飛鳥峯治さんの御命日。
あっという間に2年の月日が経ち、三回忌を迎えました。

峯治さんを一言で表すと「真面目一徹」。
日本舞踊やお舞台に対する想いは人一倍強く、美しい夢の様なお舞台がお好きで、勉強熱心。
日本国内はもとより、世界中のお舞台で踊られてきた方です。
お稽古やお仕事に対する厳しいお姿は凛々しく、プロフェッショナルとは何たるかと熱く語りながら、様々な事を教えて下さいました。
同じ内弟子として、何年も何年もご一緒させて頂きましたが、妹弟子の私が申すのも何ですが、本当に「努力の人」です。
苦虫を噛み潰した様なお顔で、仁丹を噛みながら、キッチリと物事を進める峯治さんのお姿とは反対に、大阪生まれ大阪育ちのワイワイと明るく楽しいお姿も良く覚えています。
今回はそんな峯治さんとのとっておきの思い出です。

お仕事で香港に行かせて頂いた時のお話です。
海外のお仕事の時は、お衣装、かつら、小道具、和太鼓など大きな荷物やたくさんの荷物を運ぶことが多く、飛行機や船での移動は、無事にアクシデントも無く現地へ行き帰ってこれます様にと、毎回細心の注意を払って臨みます。
※海外のお舞台やお仕事のお話は、また別の機会にゆっくりとさせて頂きますね♪
香港で無事に踊らせて頂き、大成功でお舞台の幕を閉じました。荷物のパッキングも終え空港へ。
荷物を預け、飛行機の出発時間まで香港で過ごす最後のひととき。
出発の時間を確認した後、私は峯治さんと他の先輩方と一緒に、現地のお菓子を試食したり、お土産を見ながらゆったりと空港内を歩きました。
どれくらい時間が経ちましたか、後輩から携帯に電話が。
「お福さん、今どこですか?」と。
「今お土産見てるよ。」と呑気な私達。
「僕らもうすぐ飛行機の中ですよ。もう飛行機飛びそうですよ。」と。
「えぇー!!」と慌てる私達!
何でしょうね。時差の関係かな。
峯治さんの腕時計で確認した出発時間が、何かの関係で間違えちゃったんですね。
峯治さんと一緒にいて、時間を間違えるなんて、まずあり得ない事です。絶対にキッチリカッチリとしてはるので。
そこからが大変です。出発ロビーまでバスか電車か忘れましたが、乗り物で移動しなくてはならなくて。
もう、走りました。
移動中、ドキドキハラハラしながら「早く早く」と心の中で祈りました。
走って走って走って…。とにかく空港の中を走りました(* >ω<)
ようやく搭乗口に着き、危うく飛行機に乗り損ねるところでした。今思い出しても怖いです。
飛行機に乗り込むと、何となくね、薄ら笑いを浮かべて座っている後輩の姿。一生忘れません。私。
「大人になってこんな一生懸命走る事、無かったわ。」と、峯治さんの奥様の飛鳥妙さん(〃´ω`〃)
私もです。一生懸命走りました。
ホントにね。今日の今日まで誰にも言ってないですが、懐かしい良い思い出です。
香港での猛ダッシュは、私があの世へ行ったら峯治さんとしたいお話No.1です。きっと絶対にケラケラ笑いながらあの時の必死な私達を再現してくれるはずです。覚えてはるかな?

最後のお別れの時に、ご宗家が「日本の宝」と峯治さんの事をおっしゃったとお聞きしました。
日本舞踊やお舞台の知識も豊富で技術も抜群な峯治さん。
その早い御逝去は、本当に悔やまれます。

きっともう来世で、嬉々として踊られている事でしょうね。
また来世で皆で一緒に踊りたいですね。
昨日は色々と思い出した1日でした。
雨の音が寂しく響いていました。

※写真は市川右團次さんの番頭さんをしていた時の峯治さん。3代目市川右團次襲名の時の写真です。新橋演舞場にて。

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いつも踊っています♪
日本舞踊家の飛鳥お福です。

何をしてても、頭の片隅にはやっぱりいつも踊りがあって、音楽を聴けばこれは表現できるかな?できないかな?などと四六時中無意識に考えちゃってはいます。これはもう仕方ない事ですね。
身体では踊らなくても、頭で踊ってる感じですか♪
そういう意味ではいつも踊っています。

さてさて今回は『ルーティン』です。
先日の「コーヒーを断つ時」にも書きましたが、大きなお仕事が決まるとまずコーヒーを止めます。
次にやることは、プレッシャーと戦える言葉ですね。
『私ならできる。絶対にできる。女なら結果出せ!』
これホントにホントにアホみたく繰り返し言ってきました。
『さぁ、かかって来いよ。どっからでも来いよ!』と同じくらい言ってますね。
大きなお舞台に立つ緊張とか、怖さに打ち勝つとか、そういう事への不安ではありません。
無事に幕が開き、お舞台に穴を開けることなく、自分が自分の仕事をやりきるという事に対しての底知れぬプレッシャーですね。
怪我をしたり体調を崩したりせずに、その他不慮のアクシデントに備えて、万全の環境を勝ち取って、お仕事に向かう為の気合いです。
この、万全の環境を勝ち取るというのが1番大変で、気を揉む部分だと思います。
大きなお仕事に限らず、全てのお舞台においての気構えです。

そして迎えた本番当日は必ず、行きの道すがらロッテのクランキーポップジョイを買って楽屋入りします。
このお菓子は、日本舞踊的には全く意味は無いです(*^^*)
いつ頃始めたのかも覚えてないくらい昔から必ず買ってます。
恐らく、電車移動の時に駅のキオスクで良く買っていたので、その流れで購入して現場に向かうという形になったのでしょう。
地方の公演の時に、マイクロバスで移動させて頂く時も、SAで必ず買っていました。
万が一、行きに買えなかった時は、現場に着いてから近くのコンビニへ行って買います。
面白かったのは、お弟子さんだけがお舞台に立つときも、縁起を担いで買いました。
無意識に買っている…と、自分でもビックリ(*^^*)
いつ頃から発売されているか明確にはわからなかったのですが、恐らく2000年くらいではないか?というネットの記事を読みましたので…かなり長い間、このルーティンは私の中で続けられている模様です。

クランキーポップジョイと言えば、ロッテの70周年を記念して制作された
お口の恋人スペシャルアニメーション「ベイビーアイラブユーだぜ」という作品があります。
冒頭に女子高生の可愛らしい女の子が出てくるのですが、この子がお店で買っていくのがこのクランキーポップジョイです。
そのチョイス最高!と思って初見の時ワクワクしました♪
とっても素敵な作品で今だに何回も観ています。YouTubeで検索したらすぐ出ますのでぜひどうぞ。
https://youtu.be/ddC12lxq69w

最後のルーティンは。
幕が降りている状態での板付き(初めから舞台の上にスタンバイしていること)の時は幕の上がる直前、それ以外は舞台袖でスタンバイしている時に必ず心に留める事があります。
お越し下さったお客様が今日の舞台で、何か感動して頂ける様にとの強い強い強い願い。
無事に今日お舞台に立つ事ができた事への感謝。
これは必ずゆっくりと胸に留めてから舞台に出る様にしています。
数え切れないくらいたくさんのお舞台に立たせて頂いて、長い長い間、お舞台に穴を開ける事なく、大きな事故も無くここまで踊って来られました事に本当に感謝しています。
毎回同じ熱量で感謝する事を続けるのはとても難しい事だと思っています。
良くも悪くも人は慣れて行きますので。
感謝の心も回数を重ねて行くうちに、時と共に慣れて薄れて行くと思います。
そういう自分に決して負けない、感謝し続けて行ける人になりたいと思っています。

ルーティンが舞台に対してどれほど良いのか悪いのかわかりませんが、ずっとずーっとやっています。
クランキーポップジョイがもしこの先、発売中止になったら別の物を探しますね(〃´ω`〃)ふふふ

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いつも踊っています♪
日本舞踊家の飛鳥お福です。

今日の内弟子ごはんは『小田巻蒸し』です(*^^*)
聞き慣れない方、たくさんいらっしゃると思います。
ネットの情報ですが、この小田巻蒸し、大阪の郷土料理なんですって。大阪は船場の商人さんたちが、卵が貴重な時代の晴れの日に召し上がっていたものが広まったそうです。

※内弟子ごはんとは?
お福が内弟子の時に良く作ったり、思い出の多いお料理を紹介します。

小田巻蒸しとは、どんなお料理かと申しますと…。
茶碗蒸しの中になんと、おうどんが入っているのです。
おうどんが入るので、一般的な茶碗蒸しよりも大きい器で作ります。けっこうボリューミーなお料理ですよ。
麺料理なのか玉子料理なのか、わかりませんね…?
大阪ではスーパーに行くと、パックに入って売っているので、お家でチンしてすぐに食べられます。
具はお好みで。一般的な茶碗蒸しの具で大丈夫です。

小田巻は「苧環 おだまき」の事で、糸を巻いて玉状、環状にしたものです。
日本舞踊の演目に、長唄「賤の苧環 しずのおだまき」という作品がありますが、この作品も「賤の小田巻」と表記されることもあります。
茶碗蒸しの中に入っているおうどんが、この糸を丸めた状態に似てるのでその名がついたそうですよ。

内弟子の時は、朝お稽古場に出勤すると、まずはお昼ご飯のお献立を決めるところからスタートしました。
毎日のお昼ごはんとお夕飯を作っていたのですが、お献立を決めるのは大変で、ネタが尽きるとよく先輩に相談していました。小田巻蒸しも先輩に教えて頂いたお料理です。
内弟子になった当初、お料理をしたことのない18歳の私が、師匠のお宅のご飯を毎日作らせて頂くのは大変でした。
その上、関東と関西では食文化の違いが色々とあるので、慣れるまでは良くわからない事が多くて、失敗した思い出もたくさんあります(*^^*)

小田巻蒸し、関東のスーパーにはもちろん売ってませんよ。
皆さん聞いたこともないと思いますが、茶碗蒸しにおうどんを入れるだけです。おうどんが茶碗蒸しの具だと思えば大丈夫です。茶碗蒸し食べたら中からおうどんが出てくるだけです♪
長唄「賤の苧環」お稽古させて頂いたな。と思い出しました。
いつかどこかで踊らせて頂く事があると良いなぁと思います。

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いつも踊ってます♪
日本舞踊家の飛鳥お福です。

このところ内弟子の頃の思い出を綴っております。
もうね。色んな事がありすぎて…思い出しては、ちょっとずつ書いているのですが、自分の人生の中でも、なんて濃厚な時代なんだろう!と。
お仕事とお舞台でものすごく忙しかったのと、楽しかった思い出に満ち溢れています(*^^*)

さてさて本日のタイトルにもあります『サスペンションライト』
略して『サス』と呼ばれたりしますが、舞台上部に平行に渡されたバトン(布や幕や照明などを吊るす為の棒)に設置してあるスポットライトの事です。

入門した当時。今はもうありませんが、大阪は上本町の近鉄小劇場に於いて、毎年春に『ASUKA PRESENTS』という舞踊団の公演がございました。
お芝居、新作の日本舞踊、古典ではない洋楽で踊る日本舞踊などなど…前衛的な振り付けで時代の最先端。日本舞踊を初めて観るお客様にも楽しんで頂ける内容の公演だったと思います。
入門してちょうど2ヶ月後、私もこの公演に出演させて頂きました。
この公演の場当たり(舞台上の人の動きや立ち位置、照明さん、大道具さん、音響さんなど、それぞれの動線やきっかけを確認していく事。場当たり稽古とも言われます。)の時に、ご宗家から「ちゃんとサスの中に入りなさいよ。」とおっしゃって頂いたのですが…この『サス』がわからなくて…。
日本舞踊歴は7歳から11年。毎年ホールや公民館など年間5回ほど、お舞台は経験しておりましたが、プロフェッショナルとアマチュアのお舞台は全然違います。
これは大きな大きな壁です。
現にこの時点で、舞台用語や専門的な知識が圧倒的に足りていません。
「サスって何ですか?」って大先輩に聞いてましたね。ふふふ。
上からの垂直なサスペンションライトの明かりの中に、ちゃんと入りなさい。ライトの中に入って同時にその位置を覚えなさいという意味なのですがね(*^^*)

ASUKA PRESENTSの公演が無事に終わり、その後もお舞台とお仕事はどんどん続いて行きました。
振り付けして頂いて覚えて踊って…振り付けして頂いて覚えて踊って…の繰り返しです。
日本舞踊のお舞台に立ち、それをお仕事にするという事は本当に稀な事です。一般的にはお舞台の数をこなすという環境にはまずならないと思います。
飛鳥流に入門し、師匠の創設した日本舞踊アカデミーASUKAという舞踊団に所属させて頂けたので、その様な環境でたくさん勉強させて頂きました。
自分のホームページのプロフィールに載せさせて頂いているものは、ごくごく一部で、それ以外の数えきれない程の経験が、今の私を作ってくれていると思います。

『サスペンションライト』
知っていて得する言葉では無いと思いますが(*^^*)知っているのと知らないのでは全く違いますので。
もしかしたら皆様のこれからの人生の、どこかでこの言葉が役に立つかもしれません。
良かったら今日覚えて下さいませ♪
ちなみにサスペンションライトを吊っているバトンの事をサスバトンと言いますよ。ふふふ。

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いつも踊っています♪
日本舞踊家の飛鳥お福です(*^^*)

大分と前ですが…
TVを観ていたら、芸人さんでしたかどなたかが「本名なんてとうの昔に置いてきたわ!!」と叫んでいたのがすごく印象的で。
私も、本名の自分と芸名の自分が共存しているので、そうそう!と妙に納得する部分もあったりして。

一般的に日本舞踊の世界では、お稽古をある程度続けていきますと、名取試験というのを受ける事ができます。
それぞれの御流儀によりますが、お師匠さんからお声がけして頂き、試験を受ける資格を頂けると思います。
名取試験に合格しますと、御流儀の御名前を許され、御名取さんとしての舞踊人生が始まります。
それと同時にどなたかに教えても良いですよという資格や、お教室を開く資格を頂けたりします。
この資格は、御流儀によって全く違いますので、あくまでも一般的な流れのお話とご理解下さいませ。
この御名前が名取名というもので、いわゆる芸名です。
飛鳥流ですと、飛鳥までは皆同じで、飛鳥の下の御名前をそれぞれ名乗らせて頂きます。

私は、飛鳥お福としての人生を20年生きてきたのですが、ごく稀に、飛鳥お福の名前しか知らない方に、どうしても本名をお教えしないとならない時があって…その時はね、もうものすごく恥ずかしいんです。
なんでしょう、素の自分を見せるみたいで。←基本考えすぎ(*^^*)

『飛鳥お福』という名前。この『お福』という名前は日本舞踊の世界でもすごく変わっていて、激レア中の激レア名だと思っております。だって『お福』ですよ!
もちろん本名と全く関係ない名前ですが、名取名を本名と同じ御名前にする方もいらっしゃいます。
私の場合は、どちらかというと本名も変わっていて、一般的によく聞く名前ではないので…。
だから、なんとなく余計に本名を知られたくない思いが強いのです(*^-^)
でも未だにお会いすると、ほぼ本名で呼んで下さる先輩がいて。
その時は、自分が1番年下だった時代に一瞬だけ戻ります。

芸名の多い世界におりますので、お互いに本名を知らない方が結構いらっしゃいます。
でも今の時代、ネットやSNSの中での御名前しか知らない方もいらっしゃいますので。皆さま何かしらのもう一人の私が存在していらっしゃると思います。
本名の私と芸名の私で、私自身何かを変えているわけでもありませんが、どっちの私も私で…それぞれの立場の私をこれからも大切にして行ければなと思っております。
ちなみに、プライベートで知り合う方には逆に、飛鳥お福の事はよっぽどじゃないと、自分からはあまり話さないですね。日本舞踊してますって、自分からは滅多に話さないです(*^^*)

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いつも踊ってます♪
日本舞踊家の飛鳥お福です。

今日はポカポカ暖かくて、早速アイスのカフェオレ飲みましたよ。
タバコは吸わないし、お酒も飲まないし、合法でやるのはカフェインだけ(*‘ω‘ *)
なんて、今まで色んな所で言ってきましたが、そんな私でもコーヒーを断つ時があります。

規模の大きな会場でのお仕事や、大きな作品で1人で御舞台に立たせて頂く時など、普段とは違う尋常じゃないプレッシャーを感じるお舞台が決まった時に、即コーヒーを断ちます。
とりあえず本番までに身体を絞ろう!と咄嗟に思いますので、牛乳たっぷりのカフェオレをまずは断つぞ!という感じです。
日本舞踊的には全く意味は無いです。
とにかくプレッシャーを感じつつ、本番に向けて制約しながら自分を追い込みたいのでしょうね。
基本ドMです。もう完全に。本番の日に照準を合わせて、逆算してとことん追い込んで行ってしまうタイプです。

でも、そんなに繊細な神経ではないので、御舞台の事で精神的に参る事は無くて。
逆に本番が近づいてくると、御舞台の大成功を邪魔してくる様な見えない敵に向かって、「さぁ来いよ!どっからでもかかって来いよ!」と、1人で威嚇しているような感じです。
とにかく1番心掛けている事は、体調を整えて絶対に御舞台に穴を開けない様にすることで、常に緊張しています。
怪我や、特に冬場はインフルエンザやノロウイルス等々。これぞ見えない敵の代表ですね。
御舞台に対する、色々な底知れないプレッシャーを払拭しながら、自分を鼓舞してるのでしょうが…。
まぁ、このフレーズ良く口走ってますね。
ふぅー、ここまで書いて気付く自分のヤバイ姿です…。ふふふ。

御舞台ってホントに不思議で、たくさんたくさんお稽古して、音も間も振りも全て完璧に頭に入れているのに、なぜか本番で今までお稽古でもしたことの無い失敗をする時があります。
振りが飛んで頭が真っ白になる事はありませんが、早間(曲のスピードが早い事)の作品などで咄嗟に振りを抜かしたりして…。自分でもビックリする様な事が起きたりするんです。
人間が機械の様な完璧な存在ではない証拠なのでしょうが。それだからこそ、生身の人間対人間の爆発的な生命力や感動がその空間に生まれるのでしょうね。
『芸術は人格の現れ』 と言われる様にその人の生きている姿勢そのままが作品に全て出てしまうと思います。
喜びも、哀しみも、苦しみも…涙をたくさんたくさん流して生命を磨いて行きたいなと思います。

コーヒーの話からだいぶ逸れてしまいましたが…
他にも色々と、追い込んで追い込んで来てしまったので、ちょっとゆっくりさせて頂いている今日この頃です。
ゆっくりとコーヒーを味わって飲む時間の大切さを、心の底から今感じています。
こんなに穏やかな時間が自分の人生に訪れるなんてね♪

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いつも踊っています♪
日本舞踊家の飛鳥お福です。

今日も寒いー!
こんな日は、大きめのマグカップでホットココア、温かいスープ、ミルクティー…木のおサジでくるくるかき混ぜながら飲みたいですね♪
普段はコーヒーにミルクたっぷりのカフェオレ良く飲みますが、最近は緑茶もさっぱりしてハマっています。

今日は、コーヒーでちょっと思い出した内弟子の頃のお話です。

日本舞踊の内弟子時代、毎日、お昼とお夕飯をご宗家とご一緒に頂きましたが、お昼ご飯の後に必ずコーヒータイムがありました。
高校卒業してすぐ内弟子になりましたので、18歳。そんなにコーヒー飲みなれた年齢じゃないですよね。

コーヒーメーカーでゆっくりと落として、先生方はブラックで飲んではりましたが、最初の頃私は牛乳とお砂糖入れさせて頂きました。
そのうちに牛乳だけになり、最終的にはブラックになりました。
コーヒーと一緒にスイーツを頂き、午後から夜まで続くお稽古の前のホッとひとときです。
たまに、ご宗家と一緒に駒川商店街にお買い物に行って、帰りに珈琲館でコーヒー頂きながら、お芝居やお舞台の話をたくさんお聞きして楽しかったですね。
あの頃、お舞台に関する色々な事をたくさん吸収して勉強させて頂いたなと思います。

夏場はもちろんアイスコーヒーなのですが、製氷器から出したカランカランとした大きい氷ではなく、アイスクラッシャーで砕いた、通称「シャラシャラの氷」を入れて作ります。
ご宗家の奥様で二代目家元の珠王先生がこの細かい氷のアイスコーヒーがお好きで(*^^*)
喫茶店で飲む様な…何かね、一手間かけた氷の特別感がありますよね。
夏場お客様がお見えになる時は、大きなグラスに砕いた氷とコーヒーを入れて、おもてなしさせて頂きました。
色々と懐かしいです。

私は、ある時からブラックがダメになってしまって。
気分悪くなってしまう事があるので、今はお砂糖無しで、牛乳多めのカフェオレです♪
家にいるとね、もうずーっと飲んでしまうので気を付けないとなりませんね。

…もう1つコーヒーの話を思い出したのでそれはまた明日にでも!

さてさて今日も寒いから、温かいカフェオレ飲もっかなぁ。

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いつも踊ってます♪
日本舞踊家の飛鳥お福です。

まだまだ寒いですね。
昨夜から風が強くて強くて。
日中暖かい日もありますが、まだ2月ですからね。寒い季節です。

さてさて今日の内弟子ごはんは『鴨鍋』です。鴨の水炊き。
おネギと、鴨の甘いお肉と脂身が美味しいですよね。
お鍋は、心も身体もあったまりますよね。

※内弟子ごはんとは?
お福が内弟子の時に良く作っていたり、思い出の多いお料理を紹介します。

えっと。まず始めにお鍋料理なんですが。
実は…実家ではお鍋料理1度も食べたことがなかったんです。すき焼きも、水炊きも、一般的なお鍋料理をやらない家だったので。
内弟子になって、お夕飯の献立が水炊きに決まり、材料も買ってきたんですが、やったことなかったので、お料理の本を見ながら準備した覚えがあります。
食べたこと無いの!?と驚かれました。

昔、お稽古場近くの駒川商店街の先に鷹宮市場というのがあって、市場の中に鳥屋さんがありました。
鶏肉はもちろん鴨肉も売っていて、そこで鴨肉を買ってきて冬場は鴨の水炊きを、良くお夕飯に作りました。
ちなみに、大阪では鶏肉の事を『かしわ』と言うので、最初「かしわ買うてきて。」がわからなくて…。
かしわって聞くと何となく『柏餅』を連想しちゃいますよね(*^^*)
鷹宮市場の鳥屋さんの鴨は、スライスではなくて、水炊き様なのかな?鶏肉の一口大みたいな唐揚げ用みたいな大きさで売っていて、臭みも全く無くてとっても美味しかったです。
お鍋料理も初めてなのに、鴨の水炊きの美味しさは別段で。お出汁と脂が美味しいですよね。
〆は、お雑炊が多くて、珠王先生がお鍋にご飯と溶き玉子を入れてくるくると混ぜてほんの少しだけ蓋をして…。
サラサラのお雑炊に、少し旭ポン酢を入れて頂きます。

水炊きは、鴨の他に鶏肉や鱈などしました。
「水炊き」のイントネーションが関東と関西では違うので、良く先輩に「水炊きって言うてみ」と、からかわれました(*^^*)

また鴨のお鍋頂きたいのですが、なかなか鴨肉売ってる所がなくて。売っていてもスライスした物ばかりですね。
ネットで探したらあるのでしょうけどね。ふふふ。

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いつも踊ってます♪
日本舞踊家の飛鳥お福です。

新しい年が明けたとたん、グッと冷え込むようになりました。手袋しようかな?と思う日もあります。
そんな寒い日は、こちら!
身体の芯から温まります。粕汁ですよー。

という事で今回の内弟子ごはんは『粕汁』です♪
※内弟子ごはんとは?
お福が内弟子の時に良く作ったり、思い出の深いお料理を紹介致します。

年末、父方の祖父の出身地、新潟県加茂市で唯一の地酒と言われています、萬寿鏡さんの酒粕を頂きました。
これは寒くなったら久しぶりに粕汁を作っちゃうぞ!と、寒さを心待にしていました。
粕汁は、ご宗家の所へ行くまで食べたことがなかったので、初めて食べた時は甘酒の様な香りで、大人なお料理という印象でした。
ご宗家のお宅の粕汁は鮭です。
作り方は、大根、人参、こんにゃく、油揚げ、白葱、甘口の塩鮭をお出汁で煮て、酒粕とお味噌、少しお醤油で味付けします。お椀によそり、お葱と柚子を添えます。
普段の時も公演前のお稽古が忙しい時も、冬場はお夕飯の時にホントに良く作りました。

今回久しぶりに作って食べましたが、なんだかあの頃のご宗家のお宅のホーローのお鍋の柄まで思い出す様な懐かしい感じです。
あ~心も身体も暖まりました。

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2021年 元旦
明けましておめでとうございます。
関東は晴れ渡り暖かな日差し!
清々しい空気の中 初ウォーキングしました

さてさて内弟子の思い出を♪
元旦は毎年、たくさんお舞台に立たせて頂きました。
早朝から数ヶ所、回らせて頂きます。
男女に別れて、女性は踊り、男性は連獅子、太鼓、獅子舞の舞台に行く年もあれば、男性女性ミックスのグループでそれぞれ移動する年もあります。
ご宗家、珠王先生、左近家元と共に舞踊団のメンバーと、元旦から御目出度いお舞台に立たせて頂き感謝と共に、気持ちも引き締まる1日です。

それぞれの舞台が終わり、お稽古場に帰って来ますと、午後を回り夕方近くになる年もあります。
皆が揃いましたら2階のお稽古場で、ご宗家を中心にお正月のお祝いです。
毎年、ご宗家が寿のお箸袋にそれぞれの名前(もちろん芸名ですよ)を書いて下さいます。
お屠蘇を頂き、珠王先生の作られたおせちを囲みます。
お正月は毎年忙しくさせて頂きましたので、千葉の実家へ帰る事は無かったです。

毎年、この様に元旦から舞台に立たせて頂きその年を皆で出発させて頂きます。
なかなか日本舞踊で頻繁に舞台に立たせて頂くという事は難しい世界ですので、年の始めより複数の舞台に立たせて頂く事は、本当に稀な経験で、有り難い事だと思っております。
1つ1つの舞台に感謝して感謝して、当たり前の事だと思わない事。感謝する事に決して自分が慣れない事。
そう生命に刻みながら生きていかないといけないと思っております。

今年は、皆様が昨年よりも良い1年になりますように。
心よりお祈り申し上げます。

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いつも踊ってます♪
日本舞踊家の飛鳥お福です。

さてさて早速ですが…
今までのお仕事や、内弟子の思い出を少しずつ振り返って綴って行きたいと思います。

大晦日の思い出と言いますと。やはりおせち料理です。
二代目家元の珠王先生は、どんなに忙しい年でも手作りされていました。
年末に、お稽古場近くの駒川商店街におせち料理のお買い物に良く一緒に出掛けました。
元旦は朝から数ヶ所お仕事に行かせて頂く事が多かったので、大晦日は翌日のお稽古や、お衣装や小道具などの準備で忙しく、夜遅くなってしまうのですが、その合間を縫っておせち料理の準備をされていました。私もギリギリまでおせちのお手伝いさせて頂きました。
「お福さんもう遅いから帰り。」と良くおっしゃって頂き、帰らせて頂きましたが、そこから夜中お一人でおせち料理を作っておられました。
本当にいつ寝てらっしゃるのかな?というほどパワフルな珠王先生です。

珠王先生のおせち料理で私が好きだったのは、クワイの煮物と殻付きのまま塩を振ってグリルで焼いた海老と紅白なますです。
珠王先生の煮物は濃い目の甘辛いお味ですが、クワイの煮物は少し甘さ控え目でクワイの苦味とホクホクとした食感がとっても美味しかったです。
焼き海老はお塩を多めに振り、塩気と磯の香りとホントに好きでした。
紅白なますは柚子の皮を飾り、甘酸っぱさと柚子の香りのアクセントが美味しくて、お酢のもの苦手だった私がいっぺんに好きになったお味です。

珠王先生のクワイの煮物。いつか同じように作れる様になりたいです。
今年はできなかったけど来年は手作りのおせち料理、挑戦してみようかな。

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どんな時も踊ってきました!
日本舞踊家の飛鳥お福です♪

今年はコロナ禍にあり、私も皆様も今まで体験した事の無い事態の連続。色々と変化のある1年だったことと思います。

そんな中 2020年を振り返り1番の思い出は
8月「飛鳥お福」の名前を許され20周年を迎える事ができました。
日本舞踊を始めて35周年。
飛鳥流に入門し、師匠の飛鳥流宗家 飛鳥峯王に師事し23周年。プロとして活動を始めて23周年。
自分にとっての大きな節目の年となりました。

常日頃より応援して下さいます皆様方、お仕事でご一緒させて頂きましたたくさんの方々、プライベートでご縁させて頂きました方々、SNSで繋がっている方々,,,たくさんの方と出逢い、この時を一緒に迎えさせて頂きました。
長い間、舞台に携われて来れましたのも、ご縁させて頂きました皆様方のお陰だと心より感謝し、どなたかお一人欠けても、迎えられなかっただろうと思います。

もっともっと長い間、活動されている諸先輩方には遠く及ばず、1年1年の重みをひしひしと感じております。
8月に入り、20周年を殊更に皆様にお伝えするつもりは無かったのですが、この様な世界情勢を受け、自分がこの先どの様な道へ進むかわからない中、今までの飛鳥お福を振り返り、皆様に感謝の思いをお伝えさせて頂こうと思いました。
つきましては、振り返るにはあまりにも長い年月ですが、今後は自分の生きた証を少しずつこのブログに書き綴って行きたいなと思っております。
どうぞ、温かいお心でお付き合い下さいませ。

脇目もふらずひたすらに走り抜けてきた長い年月。
はたと立ち止まって、ゆっくり呼吸をし、回りを見渡し、皆様の存在に心から安堵させて頂きました。

今日から明日へ!
2030年の30周年を目指して
私らしくゆっくり新出発したいなと思います(*´ω`*)

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いつも踊っています!
日本舞踊家の飛鳥お福です。

まぁ、言葉通りいつも踊っていたら,,,困ったもんですね。ふふふ。

昔、家にワインレッドのATLASのピアノがありました。
私の大叔父は佐藤隆三というジャズピアニストで、私がピアノを習うならと幼い頃におじさんから頂いたものです。
なんでも特注で、おじさんの背丈に合わせて作られており、鍵盤は今では貴重な象牙、とってもと~ってもタッチの軽いピアノでした。
私は4歳からエレクトーン、7歳から14歳までピアノを習いましたが、まぁ,,,才能は無かったですね!

隆三おじさんは、国立音楽大学を卒業して、淡谷のり子さん、田谷力三さん、ロカビリー全盛期の平尾昌晃さん、ミッキーカーチスさん、山下敬二郎さん等々のバックで演奏させて頂いたり、ビッグバンドのブルーコーツに所属して活動しておりました。
ロカビリー時代は米軍キャンプを回らせて頂き、ブルーコーツ時代は地方を回らせて頂いたそうです。
当時の大スターの方々とご一緒させて頂き、非常に華やかな世界に生きて、その時代を駆け抜けた人生でした。
NHKの紅白歌合戦にも、バックバンドで何度も出演させて頂き、ピアノを演奏させて頂いたそうです。

大叔父さんから頂いたATLASのピアノですが、ポロンポロンというよりも、キーンという響きの音がして、高音は殊更にキーンとかカーンという鋭い音のするピアノでした。
私はこの音がホントに好きで、ボディの深いワインレッドの色も大人びていて、大好きなピアノでした。
幼き私は、象牙の鍵盤に油性ペンで、律儀にドレミ,,,と音階を書き、スプレー式の洗濯のりをボディに吹き付けてタオルで磨くという、とんでもない愚行の数々。

大叔父さんは小柄でしたが、堂々としていて、見るからに芸術家肌。とても興味深い方でした。
1番印象深いおじさんとのエピソードは、私の祖父(大叔父さんの兄)のお葬式の時ですが、御式が終わるなり、つつーっと私の側にきて、「読経の最中、お坊さんが鳴らすお鈴の音は何の音?」と唐突に聞かれました。
そもそも、そんな事考えてお経を聴いていませんし、絶対音感なんてもちろんありません,,,オドオドしている中学生の私に
「レの音だよ。どんな時も音を聴きなさい。」と言われ、その上、お寺のピアノで何か弾きなさいという始末。
困ったなぁ,,,と思い、なけなしの記憶力&緊張で『乙女の祈り』を弾く私!
もうコントの様な展開で、今思い出しても面白い大叔父さんでした。
私の両親の結婚式では『熊蜂の飛行 Flight of the Bumblebee』を、演奏して下さったそうです。
何となくですよ、波瀾万丈な結婚生活を連想させるような曲を選んだのですね おじさん。という印象(*^^*)
ホントに、と~っても興味深い人柄です♪

その大叔父さんも、もう亡くなってしまいました。
亡くなって2年ほど後に、大叔父さんが昔ご一緒されていた、平尾昌晃さんの息子さんの平尾勇気さんと、私が舞台でご一緒させて頂きました。
あの日、乙女の祈りを一生懸命弾いた私も、それを見守ってくれた大叔父さんも、そんな事が未来に起こるなんて思ってもみなかったですね。

大人になってから、もっともっとたくさん音楽家としてのお話や、芸術に対する思いなど、色々と深く教えて頂きたかったな
たくさんお話したかったな,,,と
今はそれだけが悔やまれます。

※写真は、淡谷のり子さんとご一緒させて頂いた時のもの。隆三おじさん(1番右)

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いつも踊ってます♪
日本舞踊家の飛鳥お福です。

とっても嬉しい事があったので、そのお話です。
私が20歳くらいの頃へ遡りますね。
当時、大阪のJR天王寺駅と近鉄阿部野橋駅の間の歩道橋の上や、周辺の路上で若い子がたくさん路上ライブをしていて、確か近鉄百貨店の角のところにマクドナルドがあり、その横で歌っている男の子がいました。
私より1つか2つ年下の大学生。普段はバンドを組んでいて、たまにアコースティックギターを担いで来てソロでライブをしているとのこと。
いつしかその子と話す様になり、オリジナルの歌やビートルズなどの歌を聴きながら、お互いの夢を語り合いました。

その頃の私は、有り難いことに舞踊団の公演のチケットは売り出して即ソールドアウト。
国内の公演ではあちこちへ出演させて頂き、舞台のお仕事も、国内から海外と幅広く、少しずつ夢を叶えながらがむしゃら真っ最中。
ある時、成田空港から伊丹空港まで帰ってきて天王寺で弾き語りをしているその子に会いました。
今、大阪に帰って来たよと。
珍しくその時は、自分でかつら箱を持って移動していたので、これをかぶって踊るんだよと、箱を開けてかつらを見せてあげました。
その子は『すごい!すごい!』と、初めて見るかつらにびっくりしていました。

しばらくして、プロになるために東京へ行く事にしたので、もう路上ライブは終わりにするという話をしてくれました。
その子の決断をホントに嬉しく思い、それぞれの道で頑張ろうねと、彼は東京へ旅立ちました。
その後、電話で話した時に、バイトをしながらライブハウスで歌っている,,,という様な、会話をした記憶があります。

実は、その子から貰った、バンドのデモテープが4年前、大阪から千葉へ引っ越す時に出てきました。
懐かしさで、検索すると東京のライブハウスでソロで歌う映像が出て来たのですが、10年程前を境にYouTube上から消えていたので、きっと音楽やめちゃったんだろうな,,,と勝手な想像をしていました。
それから2年ほど経ち、もう1度その子のYouTubeをふと覗くと、あるサイトが記してあったのでそこに飛んでビックリ!
何と今も東京でバンド活動をしていて、意外なジャンルで活躍している様子。
私の事覚えてるかなぁ?ライブ行ってみようかな?と思いましたが
もうさすがに忘れちゃってるかもね,,,って、なかなか動けずにいるここ2年間(*´ω`*)

そしたらね、先日TSUTAYAでふと見つけたんです。
その子のバンドのCDがお店の棚に並んでるのを。
これはホントに嬉しくて!ビックリして!
一瞬にして心が晴れ渡る瞬間でした。
長い間、その子との空白の時間があるけど、その間もきっと君は音楽を続けてきて、夢を1つ叶えたんだね。

あの頃の若い私達が、時を越えてどこかの現場でご一緒できたらなぁ。と今はこっそり願っています。
もしかしたらあの子、私の本名しか知らないかも,,,と思ってるのですが
私の事を覚えてて、もしもこのブログを観る事があったら連絡頂戴ね。
というほんわかとした気持ちとは反対に
強烈にあの頃の天王寺の空気感が押し寄せてきて,,,
もう一度がむしゃらに熱い気持ちで、必死になれるの?私?
って聞かれてるみたい,,,。

君も頑張ってるから、私も頑張りたいな。



っていう嬉しいお話でした(*^^*)

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