飛鳥 お福 ブログ

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いつも踊っています!
日本舞踊家の飛鳥お福です。

まぁ、言葉通りいつも踊っていたら,,,困ったもんですね。ふふふ。

昔、家にワインレッドのATLASのピアノがありました。
私の大叔父は佐藤隆三というジャズピアニストで、私がピアノを習うならと幼い頃におじさんから頂いたものです。
なんでも特注で、おじさんの背丈に合わせて作られており、鍵盤は今では貴重な象牙、とってもと~ってもタッチの軽いピアノでした。
私は4歳からエレクトーン、7歳から14歳までピアノを習いましたが、まぁ,,,才能は無かったですね!

隆三おじさんは、国立音楽大学を卒業して、淡谷のり子さん、田谷力三さん、ロカビリー全盛期の平尾昌晃さん、ミッキーカーチスさん、山下敬二郎さん等々のバックで演奏させて頂いたり、ビッグバンドのブルーコーツに所属して活動しておりました。
ロカビリー時代は米軍キャンプを回らせて頂き、ブルーコーツ時代は地方を回らせて頂いたそうです。
当時の大スターの方々とご一緒させて頂き、非常に華やかな世界に生きて、その時代を駆け抜けた人生でした。
NHKの紅白歌合戦にも、バックバンドで何度も出演させて頂き、ピアノを演奏させて頂いたそうです。

大叔父さんから頂いたATLASのピアノですが、ポロンポロンというよりも、キーンという響きの音がして、高音は殊更にキーンとかカーンという鋭い音のするピアノでした。
私はこの音がホントに好きで、ボディの深いワインレッドの色も大人びていて、大好きなピアノでした。
幼き私は、象牙の鍵盤に油性ペンで、律儀にドレミ,,,と音階を書き、スプレー式の洗濯のりをボディに吹き付けてタオルで磨くという、とんでもない愚行の数々。

大叔父さんは小柄でしたが、堂々としていて、見るからに芸術家肌。とても興味深い方でした。
1番印象深いおじさんとのエピソードは、私の祖父(大叔父さんの兄)のお葬式の時ですが、御式が終わるなり、つつーっと私の側にきて、「読経の最中、お坊さんが鳴らすお鈴の音は何の音?」と唐突に聞かれました。
そもそも、そんな事考えてお経を聴いていませんし、絶対音感なんてもちろんありません,,,オドオドしている中学生の私に
「レの音だよ。どんな時も音を聴きなさい。」と言われ、その上、お寺のピアノで何か弾きなさいという始末。
困ったなぁ,,,と思い、なけなしの記憶力&緊張で『乙女の祈り』を弾く私!
もうコントの様な展開で、今思い出しても面白い大叔父さんでした。
私の両親の結婚式では『熊蜂の飛行 Flight of the Bumblebee』を、演奏して下さったそうです。
何となくですよ、波瀾万丈な結婚生活を連想させるような曲を選んだのですね おじさん。という印象(*^^*)
ホントに、と~っても興味深い人柄です♪

その大叔父さんも、もう亡くなってしまいました。
亡くなって2年ほど後に、大叔父さんが昔ご一緒されていた、平尾昌晃さんの息子さんの平尾勇気さんと、私が舞台でご一緒させて頂きました。
あの日、乙女の祈りを一生懸命弾いた私も、それを見守ってくれた大叔父さんも、そんな事が未来に起こるなんて思ってもみなかったですね。

大人になってから、もっともっとたくさん音楽家としてのお話や、芸術に対する思いなど、色々と深く教えて頂きたかったな
たくさんお話したかったな,,,と
今はそれだけが悔やまれます。

※写真は、淡谷のり子さんとご一緒させて頂いた時のもの。隆三おじさん(1番右)

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いつも踊ってます♪
日本舞踊家の飛鳥お福です。

とっても嬉しい事があったので、そのお話です。
私が20歳くらいの頃へ遡りますね。
当時、大阪のJR天王寺駅と近鉄阿部野橋駅の間の歩道橋の上や、周辺の路上で若い子がたくさん路上ライブをしていて、確か近鉄百貨店の角のところにマクドナルドがあり、その横で歌っている男の子がいました。
私より1つか2つ年下の大学生。普段はバンドを組んでいて、たまにアコースティックギターを担いで来てソロでライブをしているとのこと。
いつしかその子と話す様になり、オリジナルの歌やビートルズなどの歌を聴きながら、お互いの夢を語り合いました。

その頃の私は、有り難いことに舞踊団の公演のチケットは売り出して即ソールドアウト。
国内の公演ではあちこちへ出演させて頂き、舞台のお仕事も、国内から海外と幅広く、少しずつ夢を叶えながらがむしゃら真っ最中。
ある時、成田空港から伊丹空港まで帰ってきて天王寺で弾き語りをしているその子に会いました。
今、大阪に帰って来たよと。
珍しくその時は、自分でかつら箱を持って移動していたので、これをかぶって踊るんだよと、箱を開けてかつらを見せてあげました。
その子は『すごい!すごい!』と、初めて見るかつらにびっくりしていました。

しばらくして、プロになるために東京へ行く事にしたので、もう路上ライブは終わりにするという話をしてくれました。
その子の決断をホントに嬉しく思い、それぞれの道で頑張ろうねと、彼は東京へ旅立ちました。
その後、電話で話した時に、バイトをしながらライブハウスで歌っている,,,という様な、会話をした記憶があります。

実は、その子から貰った、バンドのデモテープが4年前、大阪から千葉へ引っ越す時に出てきました。
懐かしさで、検索すると東京のライブハウスでソロで歌う映像が出て来たのですが、10年程前を境にYouTube上から消えていたので、きっと音楽やめちゃったんだろうな,,,と勝手な想像をしていました。
それから2年ほど経ち、もう1度その子のYouTubeをふと覗くと、あるサイトが記してあったのでそこに飛んでビックリ!
何と今も東京でバンド活動をしていて、意外なジャンルで活躍している様子。
私の事覚えてるかなぁ?ライブ行ってみようかな?と思いましたが
もうさすがに忘れちゃってるかもね,,,って、なかなか動けずにいるここ2年間(*´ω`*)

そしたらね、先日TSUTAYAでふと見つけたんです。
その子のバンドのCDがお店の棚に並んでるのを。
これはホントに嬉しくて!ビックリして!
一瞬にして心が晴れ渡る瞬間でした。
長い間、その子との空白の時間があるけど、その間もきっと君は音楽を続けてきて、夢を1つ叶えたんだね。

あの頃の若い私達が、時を越えてどこかの現場でご一緒できたらなぁ。と今はこっそり願っています。
もしかしたらあの子、私の本名しか知らないかも,,,と思ってるのですが
私の事を覚えてて、もしもこのブログを観る事があったら連絡頂戴ね。
というほんわかとした気持ちとは反対に
強烈にあの頃の天王寺の空気感が押し寄せてきて,,,
もう一度がむしゃらに熱い気持ちで、必死になれるの?私?
って聞かれてるみたい,,,。

君も頑張ってるから、私も頑張りたいな。



っていう嬉しいお話でした(*^^*)

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