飛鳥 お福 ブログ

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いつも踊っています♪
日本舞踊家の飛鳥お福です(*^^*)

先日、扉座さんの『ホテルカリフォルニア』というお芝居を観劇させて頂きました。
コロナ渦になって初めての生のお舞台!楽しい時間を過ごさせて頂きました。
忘れていた色々な事を思い出させて頂いたので、お芝居のお話を少し綴りたいと思います。

扉座主催の横内謙介先生は言わずと知れた劇作家、演出家の先生で、スーパー歌舞伎の脚本、演出等も数多くされており、家元の飛鳥左近先生からもお話は良くお聞きしておりました。
私もスーパー歌舞伎Ⅱワンピースを拝見させて頂いた時は、台詞の量、演出、転換のスピードなどなど…感動して感動して!そして自分の中では過去最高量の紙吹雪を体感し、興奮しながら劇場を後にした事を良く覚えています。
余談ですが、その時に、市川右團次さんの番頭さんに、「通路側のお席なので、ぜひタンバリンを買った方が良いですよ」と教えて頂き、黄色いタンバリンをシャカシャカ振りながら北川悠仁さんの歌でフィーバーしました♪
右團次さんから、タンバリンに貼ってねと、右團次さんと右近さんの千社札を頂きましたが、未だに貼れず和箪笥の奥に、大事にしまってあります。
その後、ゆずのライブに行かせて頂く時、私は毎回ワンピースのタンバリンを持参しております(*^^*)
…そんな思い出を胸に今回、初めての扉座さんのお芝居!ドキドキワクワクしながら新宿に向かいました♪

私が初めてお芝居に出演させて頂いたのは18歳の時です。
高校卒業2日後に、千葉から大阪へ行き、飛鳥流に入門。同時に内弟子としての生活が始まりました。
日本舞踊は7歳からお稽古して参りましたので、入門3週間後には国立文楽劇場でのお舞台に立たせて頂きました。
そこからすぐ次のお舞台が、お芝居でした。

踊りしか踊ったことのない私がお芝居をするのです。それも大阪弁で!!
「踊りを勉強しに来たのに、何故お芝居をしないとならないのですか?」と、宗家 飛鳥峯王先生始め、2代目家元 珠王先生、3代目家元 左近先生を前に疑問を口に出す私。
『芝居心が無いと踊りも踊れない』という事がまだまだ全然解っていなかったので、人前で大きな声で台詞を言うなんて…ただただ恥ずかしいという一心でした。

元々、御宗家と珠王先生は大阪の青猫座という新劇団出身で、お芝居の作品も数多く発表されています。
内弟子と同時に、御宗家の作られた民族舞踊団『日本舞踊アカデミーASUKA』に入団しましたが、舞踊団の自主公演もお芝居と日本舞踊のお舞台という構成です。

さて、初めてのお芝居。
顔合わせ、本読み、立ち稽古…と何もかも初めての事だらけ。
台詞を言うのもただ舞台上を歩くのもぎこちない私。
そんなド素人の私に穏やかに教えて下さったのが、翻訳家、演出家で御高名な、故 青井陽治先生でした。
「○○ちゃん(←私の本名)、普段の生活でそういう歩き方はしないよね?」と、舞台上での方向転換の仕方や、身体の向きの変え方を1から教えて頂きました。
今、考えると、ホントにどうしようもないド素人相手に優しく教えて頂き感謝の思いで一杯です。
内弟子をしていましたので、常にお稽古場に私はおりましたので、お稽古中に急遽出番を増やして頂いたり、お稽古以外の時間も先生と色々とお話をさせて頂きました。
「○○ちゃん、映画はね…」と、映画の観方を教えて下さって、今でも映画を観る時は先生のお言葉を思い出しています。
当時上映されていた、青井先生が大絶賛されていた映画を、御宗家と珠王先生と難波の映画館に観に行かせて頂いたのも良い思い出です。
師匠と映画を観に行ったのは、この時が最初で最後だったと思います。

18歳の若い私!青井陽治先生演出の作品で初めてのお芝居を経験させて頂き、あの時のドキドキワクワクした気持ちやワイワイ楽しい雰囲気、活気溢れるエネルギーとお稽古場の匂い。懐かしくキラキラと輝いている金の思い出です。
県立高校が舞台の、ホテルカリフォルニアを拝観しながら…
数え切れないくらいたくさんのお舞台に立たせて頂いた、自分の青春時代を思い出させて頂きました。

終わりにもう一つ。
最後のご挨拶で、横内謙介先生がまだまだ続けて行きたいと仰っていて、私もこの先自分がどうしたいのか…今は次の目標を完全に見失っていますが、おばあちゃんになっても何らかの形で続けられたら良いなと、深く思わせて頂きました。
今回の公演を教えてくれたお友達に感謝しています。
そして!扉座の皆様の学生服姿♪とっても輝いていました!

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